2010年10月6日水曜日

第3回まるはち人類学研究会 健康を相対化する―規定された「健康」と抵抗・受容

下記の要領で研究会をおこないます。
皆様ふるってご参集ください。
 ( 各発表者の要旨は後日追加いたします)

日時:10月23日(土):14時-17時10分頃 終了後懇親会あり
場所:南山大学名古屋キャンパス人類学研究所 1階会議室
http://www.nanzan-u.ac.jp/JINRUIKEN/index.html

健康を相対化する―規定された「健康」と抵抗・受容
14:00-14:10 趣旨説明

14:10-14:50 菅沼文乃(南山大学大学院人間文化研究科博士課程後期)
「差異化される老年者―画一化されたマイノリティ」

15:00-15:40 大谷かがり(中部大学生命健康科学部保険看護学科)
「『私たちは援助を受ける側ではない』
―日系ブラジル人の健康をめぐる人々の実践を通じて」

15:50-16:10 コメント 松尾瑞穂(新潟国際情報大学情報文化学部情報文化学科)

16:10-17:10 討議

「健康を相対化する―規定された「健康」と抵抗・受容」

健康問題と人類学
健康問題を人類学的視座から見る。これは医療人類学の一つのテーマである。医療人類学は、当該社会における健康・病気観や医療行為のみならず、身体の文化的適応、ライフサイクル、異文化接触による健康への影響等についての研究課題を提起する。そのうちの一つに、健康概念に関する研究がある。この分野においては、中米ホンジュラスにおける西洋近代医療の「健康」の言説に対する村落民の実践(池田1996)、近代日本における健康言説の構築過程についての研究(野村2009)など、グローバル時代において近代医療が直面しうる健康概念の諸問題に関する研究がおこなわれている。

「健康」と差異/健常
また、近年の医療を対象とする人類学の主要なテーマのひとつに、社会的マイノリティとされる人々の医療実践の研究がある。
しかしながら、社会的マイノリティというカテゴライズ自体、ある種の権力性が潜んでいることに注意しなくてはならない。つまりカテゴリーを特定するための科学技術と、カテゴリーを定義する社会認識の相互作用である。例えばゴフマン(1961)による施設制度による「差異」化の問題の指摘は、人々が社会的マイノリティとされる権力構造を明らかにするものである。
差異化の議論は、カテゴリー化の社会学的批判と医療科学分野からの反批判を含んでいる。それはたとえば「社会的諸制度による差異化」をめぐる論争であり、またそれに対する脳科学・遺伝子研究による身体的な優性の選択、すなわち科学的に「差異」と「健常」を区別する方法の問題性である。社会の諸制度は移民などの民族的マイノリティを生み出し、また科学的医療は身体障害やジェンダー/セクシュアリティの問題を代表とする差異化の作用を担っている。この構造は、マイノリティとされる人々の様々なかたちの抵抗に現われる。

本企画の企図―「健康」概念への抵抗
医療世界のさまざまな実践を研究してきた医療人類学の議論は、医療のありかたのみならず、それを受容/抵抗する個々人のそれぞれの受容の仕方も多様であることを明らかにしてきた。
社会的マイノリティとされる個人は、医療との接触の際に起こるコンフリクトを最小限に食い止めるために、さまざまな実践を行っている。それは近代的疾病・健康の観念・予防・治療行為の把握であり、それにもとづく治療行為の適用の仕方の模索、さらにはマイノリティとされる人々による主体的連帯の結成である。その背後には様々なかたちでの差異化、そして権力への抵抗がある。差異化される人々がどのように近代医療世界の中で生きていくのか。それは差異と「共に」生きることを意味する。
本企画では、健康概念と制度による社会的マイノリティの構築、社会的マイノリティの健康に関する実践を取り上げる。健康概念に対するさまざまな抵抗、あるいは受容のありかたをひろいあげることによって、近代医療世界を生きる人々の「健康」のあり方を描き出していく。

参照文献
池田光穂
 1996 「健康の概念と医療人類学の再想像」『医療人類学』第21号、pp.1
野村亜由美
 2009 「健康についての医療人類学的一考察- WHO の健康定義から現代日本の健康ブームまで-」『保健学研究』 212)、pp.19-27


Goffman, Irving
1961  Asylums: Essays on the Social Situation of Mental Patientsand Other Inmates, Doubleday19840305 (石黒毅訳,『アサイラム――施設収容者の日常世界』,誠信書房)


差異化される老年者―画一化されたマイノリティ
南山大学大学院人間文化研究科 菅沼文乃


本発表は、健康の制度が老年者を社会的マイノリティとする過程を明らかにするものである。ここで注目するのがQOLquality of life)概念であり、本発表ではこの概念にもとづく健康の制度が、対象を社会から差異化されたマイノリティとする作用をもつことを指摘する。
1980年代末から急速に医学分野に浸透したQOLquality of life)概念は、「生活の質」あるいは「生命の質」と訳される、もともとは社会学的あるいは経済学的分野で使用されていた概念である。この概念の導入には、寿命の長期化や慢性病の社会問題化に伴い、患者の余命を伸ばすという量的(quantity)な問題のみではなく、患者の快適な生活を重視するという傾向、すなわち質的(quality)な問題への着目があった。
老年者のQOLについては、老年という性質上身体的な衰えや持病などの要素が複合的に含まれるため、一般的な患者に対する評価よりも多岐に渡る視点から考慮される必要がある。老年者は社会的立場をはじめ、疾病構造自体も若壮年者とは異なっているため、QOLのありかたはもちろん、評価に関しても特殊な状況におかれていることに注意しなくてはならない。たとえば老年者のQOLは健康上や合併疾患によるADL(activities of daily living:日常生活動作)の変化の影響を受けやすく、また精神心理的側面からも老年者のQOLの評価上の問題点があげられている。このような高齢者のQOLを構成する要素は精神的側面と社会的側面である。本発表はこのうち、QOLの社会的側面に焦点を当てる。その一端を担うのが高齢者福祉制度である。
近年の日本の高齢者福祉制度は高齢者の「主体的な社会参加」を強調している。これは65歳以上の「高齢者」の増加により、従来的な保護的サービスの提供という形での福祉の存続が困難になったこと、また介護を必要としない高齢者の増加を背景としている。「高齢者の社会参加」は高齢者福祉政策の「高齢者にサービスを提供する」という認識に、「高齢者の能力の社会への還元を期待する」という点を付け加えることとなった。高齢者福祉政策における「期待」概念の誕生において本発表で留意すべき点は、それまでの政策に関して常に受動的な客体であった高齢者像とは違う、「主体性」をもった高齢者像が求められている点、その発揮の手段として社会参加が奨励されている点である。
こうした高齢者福祉サービスは「生活支援サービス」として、従来からある数多くの生活関連サービスを複合しつつ、ネットワーク化を図るものである。これは老年者の社会ネットワークへの再包摂を意味する。社会との積極的な関与は、老年者のQOLの社会的側面を満たすものである。しかしながらこれはQOLの「主体的」な充足ではない。
しかしこれらの医療の指向や福祉制度がイデオロギー装置となる場面もある。このイデオロギー装置の方向は、老齢者を特殊なQOLを必要とする集団として客体化すること、増加の一途をたどる高齢者医療の国家負担を軽減させるための介護予防、そして、老年者を福祉制度の対象である「高齢者」として規定すること、である。制度の対象となる「高齢者」という社会的マイノリティをめぐる支援は、支援される権利をもつ老年者を社会的マイノリティとする仕組みを、構造的に作り出しているのである。

主要参照文献
オライリー,イヴリン.M2004(1997)『「老い」とアメリカ文化~ことばに潜む固定観念を読み解く~』田中典子・鶴田庸子・鈴木恵子・仁木淳共訳、リーベル出版。(OReilly, Evelyn M. 1997 Decoding the Cultural Stereotypes about Aging. Routledge.
辻正二2000『高齢者ラベリングの社会学:老人差別の調査研究』、恒星社厚生閣
黒岩亮子2001「生きがい政策の展開過程」、『生きがいの社会学―高齢社会における幸福とは何か―』、高橋勇悦・和田修一(編)、 弘文堂:215頁-241
三上洋「高齢者のQOL」『老年医学』荻原俊男編2003朝倉書店
吉川明・宮崎隆保2008「重度・重複障害者におけるQOL評価法の検討」『新潟青陵大学短期大学部研究報告』第38147153
武藤正樹1995QOLの概念の歴史と構造」『QOL の概念に関する研究 平成6年度健康・体力づくり財団健康情報研究事業報告書』大塚俊男・武藤正樹・萬代隆他、健康・体力づくり事業財団.
武藤正樹・今中雄一1993QOL の概念とその評価方法について」『老年精神医学雑誌』49
Schipper H 1984 Measuring the quality of life of cancer patients: The functional living index-cancer:Development and validation. J Clin Oncol 2 pp472-483
Neugarten B, Havighurst R, Tobin S 1961 The measurement of life satisfaction. J Geweontol 16:pp134-143


「私たちは援助を受ける側ではない」―日系ブラジル人の健康をめぐる人々の実践を通じて―
中部大学生命健康科学部保健看護学科 
大谷かがり

1990年の出入国管理及び難民認定法の在留資格の再編により、多くの日系ブラジル人が働くために日本にやってきた。中でも豊田市は日本でも有数の製造業が盛んな町であり、中南米から数多くの人々がデカセギにやってきている。豊田市の日系ブラジル人のコミュニティに関する社会学研究は、日本人の生活支援活動や日系ブラジル人の就労形態から、援助を必要とする日系ブラジル人、地域につながらない日系ブラジル人や解体したコミュニティについて論じてきた。しかし、そこに暮らす人々の視点から日系ブラジル人について考えたとき、援助を受ける側とそうでない側という二項対立の枠を超えた、コミュニティの参加者の思惑が交錯する複雑なコミュニティのありようが見えてくる。入管法の改定より20年以上経過した今、日系ブラジル人の地域社会での生き方についてもう一度考えたい。
2008年の不況以降も、豊田市には約15000人の外国人が暮らしている。豊田市では、日本人には自明の健康概念や公衆衛生の観念が在住外国人に通用せず、在住外国人、地域住民、行政との間で摩擦が起こっている。住民の約5割がブラジル人である保見団地では、NPOやボランティアグループが、在住外国人と日本人双方に互いの社会的、文化的相違を伝え、地域で暮らすためのサポート活動を行っている。保見団地を中心に活動する外国人医療支援グループは、日系ブラジル人と日本人が健康について話し合う場を設け、健康で暮らすために必要な情報を日系ブラジル人のコミュニティに発信し続けている。本報告では、外国人医療支援グループの活動を事例に、日系ブラジル人の子どもの健康とその問題をめぐる人びとの実践と戦略に着目し、健康という視座から日系ブラジル人のコミュニティについて考えたい。