2010年11月29日月曜日

第4回まるはち人類学研究会 祝祭性を考える

下記の要領で研究会をおこないます。
皆様ふるってご参集ください。


日時:201012月25日(土)1400-17:30 終了後、高蔵寺近辺にて懇親会あり
中部大学春日井キャンパス72号館7221 号室
http://www.chubu.ac.jp/about/campusmap/documents/campusmap2010_flat.pdf 
*バスでお越しの際には、神領よりのスクールバスが本数も多く便利です。 


発表者
14:00-14:10 趣意説明 黒田清子(中部大学国際人間学研究所研究員・中京大学国際教養学部非常勤講師)

14:10-14:50  黒田清子(中部大学国際人間学研究所研究員・中京大学国際教養学部非常勤講師)

祝祭性で考える試み―岐阜県郡上市八幡町岸劔神社大神楽―
15:00-15:40 清野則正(名古屋市立大学芸術工学研究科博士後期課程) 

あいちトリエンナーレにおける祝祭性
15:50-16:20 コメント 谷部真吾(名古屋大学大学院グローバルCOE研究員)
16:20-17:30  全体討議
 
「祝祭性を考える」

 「祝祭」は、文化人類学に限らず、演劇、評論、文学、建築、音楽など様々な分野で語られる言葉である。文化人類学において「祝祭」は、「祭り」、「儀礼」、「カーニヴァル」をとりまく議論にみられてきた用語である。「祭り」、「儀礼」、「儀式」、「祝祭」、「祭儀」は重なり合う意味をもって用いられ、互いに区別することは難しい。昨年発行された辞典・事典にはひとつの項目として「祝祭」を取り上げているものもある。



「日常的次元とは区分された非日常を時間的・空間的に構成することによって、何かを祝ったり記念したりする儀礼的行為。いわゆる「まつり」であるが、祭礼・祭式より祝祭の方がより華美で享楽的な響きがある。(略)祝祭はまた、歴史的・社会的条件によってかなり幅のある活動であることもしばしば指摘される。(略)近年の観光化や人の移動のボーダレス化といった社会状況の変化においても、祝祭は柔軟に適応しながら、凝集性と拡散性の両面性を発揮する事象として注目される。」(川田2009152-153



「祝祭は、祭りの重要な本質を言いあてているものとも言えるし、祭りを構成する重要な部分とも言える。(略)日本の祭りで言えば、(略)祭りは、儀礼=「神人の交流」から祝祭=「人人の交流」のレンジや範域を持つといえる。しかも、その祝祭は、聖なる存在に祝福されての「人人の交流」から神聖性が退いたあとの集合的な「人人の交流」までのレンジ範囲をもつ。この延長線上に、神聖性を欠いた単なる集合的な「人人の交流」としての祝祭も生まれてくることになる。だが、この儀礼と祝祭の二つは、区分できないことがある。神聖性(儀礼、祈り)が、「非日常的な集団高揚」(祝祭)のなかで顕現(ヒエロファニー)する。だから、儀礼(神聖な神の出現)は祝祭のなかで混じって同時に生成しているときがある。(略)集団の拠って立つ根源的な世界観(共同原理)が、劇的構成による非日常的な集団高揚において象徴的に実現するものである。すると、その集まっている集団の拠って立つ根源的な世界観(共同原理)は、宗教的な信仰原理だけでなく、その地の「謂われ」やコミュニティの価値観、そして、その共同行動の基本精神や由緒であっても良い。ここに、神なき祭やイベント祭が展開しうる理由がある。」(和崎2009857-858



このように祝祭は、非日常的な時間・空間における事象であり、集団高揚の行為であり活動であるといった幅をもつ概念といえる。祭りの要素、部分として語られる場合には、祝祭は、日常と祝祭、儀礼と祝祭という対立要素とすることも、重なり合う、両義的な要素となることもある。この場合、祝祭が日常や儀礼にうちかつ部分がどのようにあるのかをみるべきである。一方、日常的な空間や時間のなかにも「祝祭性」が広く蔓延している都市においては、祭りとの関わりなしに語ることもできる。都市祝祭の場合には、「祝祭性」と呼べるさまざまな仕掛けが伴う。

今回、ひとつの祭事・催事を祝祭性でどのように分析・考察できるのか試みたい。その意味において「祝祭とは何か」を考えるというよりも「祝祭性で考える」試みといえる。またそこに祝祭「性」とした意図がある。

 発表者1の黒田は岐阜県郡上市八幡町岸劔神社大神楽を祝祭性で分析を試み、地方の祭り研究の発展可能性を考察する。発表者2の清野は、「あいちトリエンナーレにおける祝祭性」について、仕掛け人たちの祝祭に関する言説と作品等の実際を照らし合わせ考察する。今回ゲスト発表者として芸術工学の清野氏を招き、異なる分野の二人がこのテーマについてどこまでクロスできるのかできないのかを探る試みとしたい。

 発表者に限らず、多くの人が関わることが出来るテーマであるので、フロアーからの活発な議論を期待したい。



事典・辞典

川田牧人,2009,「祝祭festivity日本文化人類学会編『文化人類学事典』丸善株式会社152-153
和崎春日,2009,「祝祭」小島美子 ・鈴木正崇 ・三隅治雄 ・宮家準 ・宮田登 ・和崎春日 監修『祭・芸能・行事大辞典(上)』朝倉書店:857-857.


発表1:黒田 清子「祝祭性で考える試み―岐阜県郡上市八幡町岸劔神社大神楽―」

まず「祝祭性」に関わる研究のレビューを行い、どのような分析・考察の可能性があるかを述べる。

次に具体的な考察対象として、岐阜県郡上市八幡町岸劔神社大神楽を紹介する。発表者は修士論文においてこの大神楽と神楽役者たちを、民俗芸能とその共同体社会の関係としてとらえた。この時は特に神楽曲を中心とした分析を行った。神楽役者や町民との聞き取りと、自身が神楽練習へ参加することを通して読み取れたことは、この大神楽がもつ全10曲の神楽曲は、それぞれ用いられ方や場の限定などにより各曲への役者たちの関心の差(意識差)が伺えた。つまり、各神楽曲への価値的差異があった。それらは「音と人」の関係にとどまらないものであったので、それらの関係を音を中心とした「人・音・場・時」という切り口のもとにその意識の強さの差異を「人の中の時の層」「時と場の層」「音と場の層」の3つの層として読み取る試みをした。ただし、この時の分析は、神楽曲という音を中心にとらえたこと、確固とした共同体社会を前提としていたこと、わかりやすくしようとしすぎたためか機能主義的な面があったという反省がある。

今回、大神楽という祭りを、祝祭性で考えるという試みをすることで、今後の研究の発展可能性を考察したい。祭りにおいて、人が集まり盛り上がる、場がもつ力といったものはどのようにとらえるべきなのか、どこまで分析可能か考察してみたい。



参考文献

桑江友博,2009「都市祝祭祭礼研究・再考」武蔵大学総合研究所編『武蔵大学総合研究所紀要』(19) 95-115.

薗田稔,1990,『祭りの現象学』弘文堂.

松平誠,2008,『祭りのゆくえ―都市祝祭新論』中央公論新社.

山口昌男,1984,『旅とトポスの精神史 祝祭都市 象徴人類学的アプローチ』岩波書店.

米山俊直, 1986,『都市と祭りの人類学』河出書房新社.

和崎春日,1996,『大文字の都市人類学的研究』刀水書房.

発表2:清野則正「あいちトリエンナーレにおける祝祭性」



 2010年8月21日から10月31日の期間、新しいアートの動向を愛知から世界へと発信する国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」が催された。

 第1回目のテーマは、「都市の祝祭 Arts and Cities」。国内外130組以上のアーティスト・団体が参加し、現代美術、ダンスや演劇等のパフォーミング・アーツやオペラなどの、世界最先端の現代アートを中心とした多くの作品。美術館や劇場だけではなく、街の中にまで進出したアート空間が呈した「都市の祝祭」とは一体どのようなものであったか。

 「都市の祝祭」というテーマについて、芸術監督の建畠晳は「都市にとってアートとは何か、アートにとって都市とは何か」*1)を考え、アートのもたらす祝祭性の意味について再考し深化させ捉え直したいとしている。都市の生活空間、屋外での展示作品において、アートによる非日常的な光景が介在することで、私たちの想像力が刺激され、普段見慣れていた街が、スペクタル性を帯びてくる。つまりアートという方法、手段を用いた「にぎわい」による街の高揚感を喚起することを試みようとしていた。このテーマについて、キュレーター愛知県美術館主任学芸員、拝戸雅彦、パフォーミング・アーツ担当キュレーター愛知県文化情報センター主任学芸員、唐津絵理、映像担当キュレーター愛知県文化情報センター主任学芸員、越後谷卓司、それぞれの祝祭に対する考え方をまとめる。

 次に事象としてあらわれた展示、公演、上演された作品群を整理し、都市とアートの関係を考察する。場所とアートの関係から、祝祭とはどのように浮かび上がるのか。「場所性」を全面的に活かすとしても、都市型の芸術祭である「あいちトリエンナーレ」と(名古屋市で開催されていたが)、越後妻有や瀬戸内国際芸術祭とは根本的差異が存在する。その差異とは、都市型と観光型の芸術祭であるということである。都市は多くの人にとって特別な場所ではなく、普遍的なイメージを有する。名古屋という場所はキュレーターの視点からどう捉えられたのか。

 このようにあいちトリエンナーレにおける祝祭性を浮かび上がらせるために、芸術監督をはじめ、現代アート、パフォーミング・アーツ、映像キュレーターの祝祭性のスタンスを概観する。そして場所性に着目し、都市型芸術祭の祝祭性のあり方を作品等の事象を通してまとめることで、あいちトリエンナーレの祝祭性の考察を試みる。



《引用文献》

*1):文献2)、p22.

《参考文献》

1) 編集制作、馬場駿吉、他6名「芸術批評誌【リア】24」リア制作室、2010.

2) 「美術手帳2010年8月増刊 あいちトリエンナーレ2010公式ガイドブック アートの街の歩き方」株式会社美術出版社、2010.

3) 「あいちトリエンナーレプレスリリース」あいちトリエンナーレ実行委員会、2009〜2010.

http://aichitriennale.jp/press/