2011年6月24日金曜日

第7回まるはち人類学研究会 ポストユートピアの映像化

下記の要領で研究会をおこないます。
皆様ふるってご参集ください。



日時:7月16日(土):13時00分-18時00分頃 終了後懇親会あり
場所:南山大学名古屋キャンパス人類学研究所 1階会議室
http://www.nanzan-u.ac.jp/JINRUIKEN/index.html




ポスト・ユートピアの映像化

13:00-15:00 レオニード・ロペス("霧の工場" 脚本・監督)
"霧の工場" (Fábrica de Humo)

15:15-16:30 田沼幸子(大阪大学特任研究員)
"キューバ・センチメンタル" (Cuba Sentimental)

16:30-17:10 コメント
石塚道子(お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科教授)

岡田秀則(東京国立近代美術館フィルムセンター主任研究員)


17:10-18:00 質疑

1. 企画要旨
 キューバのポスト・ユートピア的な日常について語るのに「民族誌」というスタイルは適切なのだろうか。人々のときに饒舌な語り、意外な沈黙、「資本主義国」からは想像のつかない風景、こういったものは一見して映像のほうが捉えやすいように見える。実際、近年、キューバに関する本よりも映画の方がしばしば注目を集めている。だが映像は、人類学的表現の、文章のオルタナティブとなりうるだろうか。それとも、それらは補完的なものだろうか。
 日本では「キューバ革命」は1959年とされている。しかしキューバにおいては、それは「革命の勝利」した瞬間でしかなく、革命(独立運動)はその100年前から始まり、現在も継続するものとして語られる。その一方で、ソ連崩壊以降、公務員の給料と配給所での販売では必要な食糧を十分に得ることも困難になり、ドルショップや闇市場が日常的に必要とされるようになった。それはつまり社会主義という原則からの逸脱を意味する。それでもキューバ政府は、これが「平和時の非常期間」(Special Period in Times of Peace)であるという見解のもと、あくまで社会主義を貫くのだという立場をとってきた。(注:2010年には公務員50万人が解雇され、178職種の自営業が認められたが、それでも市場経済に移行するというわけではない)。こうしたなか、日常は、現地の人がしばしば言うように「シュールな(surreal)」ものとなる。本来不法であるものが必要不可欠なものとなり、皆が知っているはずのことが言うべきでないこととなる。例えば、官製メディアは、国内に関しては現にあるはずの「問題」を報道することなく、理想とされる未来や、その未来図に沿って計画されたプランの「輝かしい」側面しか伝えない。このような状況下を、「革命勝利」をリアルタイムで知らない世代の若者達は、どのように生きているのか。そのあり方をそのまま描くと、「政府批判」ととらえられかねない状況のなかで、どうしたら批判でもなければ肯定でもないやり方で、この表象とイメージのズレを伝えることができるだろうか。
 本企画の報告および上映映像はキューバを対象としたものにしぼる。しかし、グローバリゼーションとポスト・コロニアル研究の第一人者である石塚道子氏、劇映画、ドキュメンタリー、国内外を問わずフィルムに造詣の深い東京国立近代美術館フィルムセンター主任研究員の岡田秀則氏を招き、ポスト・ユートピアのキューバを映像化するということの意味を、さらに別のコンテクストで理解し、他の地域および研究分野と関わらせながら議論を発展させることを目指したい。そうすることによって、「映像を人類学にどう活かすか」といった、まず映像という手段ありきの議論ではなく、まず対象となる社会に参与したのち、どうdescribe(「記述」と訳してしまうと文章のみを想起するが、この言葉なら映像を含めた表現も示せるだろう)すればその観察を適切に伝達することができるかを考える、という、人類学の基本的なスタンスから映像表現とそのあり方を問うことが可能となるだろう。

2. 発表要旨
 報告者1のレオニード・ロペスは、キューバから出国した経験のないときに映画『霞の工場(Fábrica de Humo)』を共同で監督した。同名の発表をもとに、彼や身近な人々がどのように自国の現状をとらえているのかを解説する。

 報告者2の田沼幸子は、制作した映画『Cuba Sentimental』を上映する。報告者は2004年までのフィールドワークをもとに「ポスト・ユートピア」というキーワードを用いてキューバについて書いてきた。しかし、キーインフォーマントであった数人の友人たちは、希望通り、国外に出ていってしまった。その彼らが出国先で何をどのように考え、感じているのかを通じて、キューバで生きることの感覚が逆照射されるだろう。作品の『Cuba Sentimental』というタイトルは、センチメンタルなキューバ、という意味もあるが、常に政治的な二項対立の語彙で語られがちなキューバの表象に対し、sentimiento(感情)に着目することでこれを崩し、別の見方を示したいという意図がある。本作では、政治・経済的背景によって引き起こされる感情を扱うことによって、「ネイティブの視点から」キューバからの移民について伝えることを目指している。

コメント:
石塚道子(お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科教授)
岡田秀則(東京国立近代美術館フィルムセンター主任研究員)

3. 映像作品紹介

Fábrica de Humo(ファブリカ・デ・ウモ)(霞の工場)

監督・脚本:アドリアン・レプランスキー、レオニード・ロペス
2007年、102分、制作国:キューバ

あらすじ:
 セバスチャンは両親とクラス28歳無職の青年だ。父親は息子がなにもせずにいることをとがめ、仕事をせずに暇だから反抗的なのだと決めつける。
 ある日、セバスチャンは、恋人とよく立ち寄る廃墟を、仕事場にすることに決めた。そこは彼の職場であり、彼が唯一の雇用者となるだろう。
 セバスチャンは、あたかも「本当の」労働者であるかのように、毎日、規則正しくその仕事場に通うようになる。息子が職に就いたという知らせは両親を安堵させ、父親は誇らしげに、職場の同僚とどのように関わるべきかを息子に助言する。
 そのような同僚は全く存在しなかった・・・本作の冒頭から仕事場周辺に出没していた老人が彼に近寄り、「サービス」を申し出るまでは。
 この時以来、2人の関係、老人が語る1959年前の仕事について、老人の個人的な関心とその世界の捉え方が奇妙にかかわりあい始める。しかしあるとき突然、それは終わりをつげる。(Wikipedia “Fábrica de Humo”参照)
主な上映歴:
国際低予算映画祭(キューバ、20084月)
イギリス国際映画祭(イギリス、2008年6月)
ケベック・フランス語映画ランデブー(カナダ、2008年1月)


Cuba Sentimental(キューバ・センチメンタル)


監督・撮影・編集:田沼幸子
監修:市岡康子
編集助手:レオニード・ロペス
2010年、5920秒、制作国:日本

 本作は、博士論文『ポスト・ユートピアのキューバ-非常な日常の民族誌』(2007)でとりあげたキューバ人青年たちのその後を追ったものである。調査時のキューバは経済危機を受けて「非常期間」にあった。社会主義から逸脱する政策――国民のドル所持合法化、外国人観光客の誘致、部分的な市場経済化がとられていた。本作に登場する人々は、こうした新しい潮流になじめない人びとだった。彼らは自国を出ることにした。それは大きな賭けであった。行き先は、イギリス、スペイン、チリ、アメリカと様々である。そして数年間、困難な生活を経ても、彼らは帰国を夢みることはできない。なぜか。それを理解するうえで、これまでしばしば、政治経済的な説明がなされてきた。しかし、本作が光を当てるのは、未知な世界への移動を決断し「乗ってきた船を燃やすようなもの」と自分の境遇を語る人々の心情的な側面である。キューバからの移動は、出国も帰国も禁じられているため、人生のすべてを変える。革命という夢も、移民という夢も覚めたあとの世界のなかで、それでも希望を捨てずに生きていくという道を歩む人々の言葉と表情をとらえることを試みた。

主な上映歴:
大阪大学フォーラム(オランダ、2010年9月)
ケベック国際民族誌映画祭(カナダ、2011年1月)
ゆふいん文化・記録映画祭(日本、2011年6月)