2013年12月2日月曜日

第18回まるはち人類学研究会 モノとカテゴリー―モノが取り扱われる現場・プロセスからその動態性を捉える―

皆様






寒さが一段を身にしみるこのごろですが、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。延期となった第18回まるはち人類学研究会の詳細をあらためて、ご連絡させていただきます。お忙しいと時期は思いますが、皆様に会場でお目にかかれますことを楽しみにしております。



18回まるはち人類学研究会

モノとカテゴリー―モノが取り扱われる現場・プロセスからその動態性を捉える―








日時:2013年12月7日(土曜)14:00-17:30
    
会場:南山大学人類学研究所1階会議室(研究所管理責任者 坂井信三)
 


14:00-14:10 企画趣旨説明
14:10-14:50 発表者:如法寺慶大(南山大学大学院人間文化研究科人類学専攻博士前期課程修了)
14:50-15:30 発表者:加藤英明(南山大学大学院人間文化研究科人類学専攻博士後期課程)
15:30-15:45 休憩
15:45-16:05 コメント:青木啓将(早稲田大学人間科学学術院)
16:05-16:25 コメント:角南聡一郎(元興寺文化財研究所)
16:25-16:40 休憩
16:40-17:30 全体討論

<企画趣旨>
如法寺慶大・加藤英明

 
本企画の趣旨は、物質文化にあらわれるモノのカテゴリーをとりあげ、モノが実際に取り扱われる現場において、人々との相互関係のなかでどのようにゆれ動いているのか、その動態性を明らかにするものである。よりふみこんでいえば、モノのカテゴリーを単なる分類であるとして固定化されたものとして捉えるのではなく、ある体系のなかで前提となる参照枠として既存でありながらも、ヒトとモノとの相互関係によって時には逸脱し、結合し、変容するような動態を示すものとして捉えることで、物質文化におけるカテゴリーの在り様の一端を示すことを目的としている。
このカテゴリーとは人間が自分たちの外の世界を理解するための枠組みのようなものである[坂本 2006]カテゴリーの形成は日常生活を営むなかで意識的にせよ無意識的にせよ行われており、人間の普遍的な認知的行為といえるだろう。
文化人類学において、カテゴリーについて言及される場合、自然と文化と関連した分類の問題として扱われ、そのアプローチは大きく二つの流れとして捉えられる[大貫 1980]。一つはエスノサイエンスを中心とした認識人類学、もう一つは記号論的方法を導入した象徴的分類を主題として捉えるものである。両者ともに、観念及び思考・意味体系への関心、文化の内側からの理解の重視、言語学への接近という共通理念が存在するなか、人類学理論の新たな展開を示した[白川 1981]。しかし、こうした研究は自然や親族の名称体系などを中心的な対象とし、モノに対する研究はされてこなかった。モノは民族誌調査において観察・記述され続けるも言語によって表現される側面のみが対象として捉えられてきたのであり[大西 2009]、モノの分類は文化や生活体系の表象としてのみとらえられ、記述されてきたといえる。物質文化研究に対する言語中心主義の是非をここで問うことはしないが、我々がモノとカテゴリーを考察する上で、このような記号論的な議論は満足できるものではない。
他方で、タクソノミー的なモノの分類とは異なるカテゴリー化の問題を扱う研究も出てきている。それはモノをラベリングする分類ではなく、使用者の実践のなかにみられる道具の分類観とカテゴリーの能動的な在り方を明らかにしたものである[Dougherty and Keller 1985]。また、完成されたモノに対する認知について目を向けると、物質文化の言語学的研究の先駆的な成果として、形態的、実用的に連続性をもつモノの分節とその変動に関する認識のあり方を示したラボフの研究がある[Labov 1973]。この成果を受けて、その変動性を議論したものに、考古学的視点からカテゴリー化のプロセスと社会的コンテクストとの関係性をみるミラー[Miller 19821985]や、プロトタイプ理論の有効性を、プロトタイプを中心とした放射線状の構造としての土器のカテゴリーを明らかにすることで示したケンプトンの研究などがある[Kempton 1981]。さらに、モノが製作されるプロセスに着目し、製作者がもつカテゴリーを静的な構造としてではなく連鎖的な動態的構造として捉えた後藤の研究は、カテゴリーの規範としての役目と揺らぎが指摘される[後藤 1997]。このような研究からは人間がモノを単なる名称による分類によって認識しているだけではなく、モノとの関係性や働きかけ方によってそのカテゴリーを動態的に認識しているということが示唆される。
ルロワ・グーランによるシェーン・オペラトワールの概念やインゴールドのものづくりと認知に関する議論など、ものづくりにおける一連のプロセスとその認知的問題へのアプローチを重要視する声があがるなかで[後藤 2011]、本企画の基本姿勢もこうした流れに身をおくものとする。モノのカテゴリーを固定化されたものとしてではなく、既存の制約としてありつつも、モノとヒトの実際の関わりのなかにみられる認識上、実用上の動態を示す。だが、この動態における分析は、製作工程のみに置かれるものではない。製作工程における職人とモノとのインタラクションはもちろん、研究者の調査過程やモノが記録され伝承されていく歴史的過程など、調査対象となるモノの物質的基盤や文脈の様々なレベルにおいて、モノとヒトの関わり合いのプロセスは見出されるはずである。こうした視点をもつことで、モノが既存の枠組みにはめこまれ表象されたものとしてではなく、モノに「なっていく」過程における動態的な原理を捉えることができるのではないだろうか。

 本企画の二人の発表者はこのような共通基盤に立ちつつ、それぞれがカテゴリーのゆれ動く現場に立ち会っている。
 如法寺は、パラオのコトラオルカヌーを復元的に調査していくなかであらわれたカテゴリーの動態性を明らかにする。実測図の観察、そして製作現場のなかで、既存のカテゴリーとして確固たるものがあるように思われた伝統カヌーであっても、認識あるいは技法の変化、偶然性といった要素との関係のなかで、その姿がゆれ動く様子を描く。既存のカテゴリーとしてモノのイメージが継承されつつも、様々なインタラクションによる動態性があらわれることを明らかにする。
 加藤は、愛知県の町工場を事例に、部品の製作プロセスのなかであらわれるカテゴリーを明らかにする。工場の現場では、はじめて製作するものがほとんどで、職人は製作実践のなかで、製作対象物はもちろんのこと、図面や機械・道具などの物質世界と関わることで、製作部品を認識する。現場において職人が、名称や完成図によって与えられるモノのカテゴリーを前提としているのではなく、製作プロセスをとおしてカテゴリーを生成していることを明らかにする。
 一方はいわゆる伝統的とされるモノ、もう一方は工場という文脈にみるいわゆる現代的なモノとして、両者は一見すると全く違うコンテクストにあるように見える。しかし、本企画ではモノのカテゴリーをプロセスのなかにみる、という共通意識をもつことで、それぞれのコンテクストのなかからカテゴリーの動態性を明らかにすることを目指した。それはモノがもつコンテクストの多様性とともに、一連のプロセスのなかでモノが示す動態性という原理的問題へと接近することを図るものである。
 本企画では、このような趣旨のもとで発表を行う。この発表が人類学者が調査現場で目の当たりにするカテゴリーの問題を考える一助となれば幸いである。

参考文献

Dougherty, Janet W. E. and Charles M. Keller,
1985 Taskonomya practical approach to knowledge structure. In J. W. E.  Dougherty(ed.), Directions in Cognitive Anthropology, pp.161-174. University of Illinois Press, Urbana.
後藤明
1997 「実践的問題解決過程としての技術―東部インドネシア・ティドレ地方の土器製作―」『国立民族博物館研究報告』221):125-187
2011 「民具研究の視座としてのchaîne opératoire論から物質的関与論への展開」『神奈川大学国際常民文化研究機構年報』2201-218
Kempton, Willet
1982 The Fork Classification of Ceramics: A study of Cognitive Protptypes. Academic Press, New York.
Labov, William
1973 The boundaries of words and their meanings. In Joshua Fishman(ed.), New Ways of Analysing Variation in English, pp. 340-373. Georgetown University Press, Washington, D.C.
松井健
1991 認識人類学攷』、昭和堂。
Miller, Daniel
1982 Artifacts as products of human categorization processes. In I. Hodder (ed.) Symbolic and Structural Archaeology, pp.17-25. Cambridge University Press, Cambridge.
1985 Artifacts as Categories: A study of Ceramic Variability in Central India. Cambridge University Press, Cambridge.
大貫恵美子
1980 「文化と分類―アイヌの空間観念を例として―」『思想』67626-45
大西秀之 
2009 「モノ愛でるコトバを超えて―語りえぬ日常世界の社会的実践」『フェティシズム論の系譜と展望』田中雅一編、京都大学学術出版会、pp.149-174
レイコフ、ジョージ
19951993) 『認知意味論』池上嘉彦、河上誓作、辻幸夫、西村義樹、坪井栄治郎、梅原大輔、大森文子、岡田禎之(訳)、紀伊國屋書店。
坂本賢三
2006 『「分ける」こと「わかる」こと』、講談社。
白川琢磨
1981 「現代人類学理論における「分類」の諸問題」『哲学』73179-203



<発表者要旨>
「ゆれ動く」モノのカテゴリー~パラオ共和国の伝統的カヌーを事例に~
如法寺慶大

本発表は、パラオ共和国において伝統的とされるカヌーを対象に、物質文化にあらわれるモノのカテゴリーが、実際にモノが取り扱われる現場において、人々との相互関係のなかでどのように「ゆれ動いている」のか、その動態的な在り方の一端を明らかにするものである。
モノは製作されることで顕在化すると、それが既存のモデルとして参照されることで記憶としての定着性が高まると考えられる。そのためモノを完成品としてみると確固とした参照枠としてカテゴリーが存在するかのようにみえるのだが、そこへ至るプロセス、つまりモノがその状態へ至るまでの一連の過程[西秋 2000]においてカテゴリーを考えるならば、必ずしもそれを固定的なものと捉えることはできない。むしろ、モノとヒトが関わりあうプロセスにおいて、認知・実践のうえにみる傾向及び偶発的な要因との関係のなかで、モノのカテゴリーの動態的な在り方を捉える必要がある。ここでは伝統的カヌーについて、カテゴリーが既存のものとして製作者によって認識されていても、様々な要素が関係することで、カテゴリーのゆらぎがどのようにあらわれるのか、という「ゆれ動く」過程を具体的な事例から考察していく。
パラオという地域において、そのカヌー文化への問題関心は強いものではなく、多くは文化体系の一部として民族誌的に研究されてきたといえる[krämer 1926]。土方はパラオにみる外海用の大型カヌーは失われ航海術も忘れられてしまったと報告し[土方 1990233-234]、外洋へ航海する必要がない環境的特徴からもオセアニアの「海の民」というイメージからはパラオは例外的であるとする報告も挙げられている[McCutcheon 198182]。しかし、パラオにカエブ、カベケル、コトラオル、ブロトンなどの伝統的カヌーが存在していたことはこれまでの研究者の報告からも明らかであり[Hornell 1975;元田 1938]、これらのカヌーは第二次世界大戦を通じて製作が中断されるも、現代において文化復興運動の文脈のなかでなされる戦闘用カヌー・カベケルの製作についての研究もある[飯高 2005]。このような復興運動は行われるも、コトラオルのような日常的な文脈で使用されるカヌーは製作されることはなく、現在ではパラオ及び沖縄の施設に一隻ずつ収蔵・展示されているのみである。つまり、現況のパラオでは、カヌーは文化復興としての意味合いが強く、すでに日常的な文脈からは失われ、常態的な製作からは離れているものといえる。
発表者は、沖縄県海洋博公園海洋文化館に破損した状態で収蔵されているコトラオルをもとに、「コトラオルというカヌーは何か」という疑問のもと、2011年から2012年にかけて調査をしてきた。しかし、すでに製作・使用されていないこともあり、民族誌などの文献資料、博物館に残された資料、現地のカヌービルダーがもつ知識など、断片的な資料をもとに進めざるをえなかった。その際に発表者が手がかりにしたのは言説的情報だけではなく、形や構造といった物質的特徴であり、それが残されたスケッチなどの図や博物館資料そのものであった。図と博物館資料の実測図との比較、カヌービルダーのスケッチ図、インタビューの際に写真や図を提示するなど、発表者自身も常に形などの具体的な物質的特徴を念頭に置き、さらにインフォーマントにも想起してもらえるように調査を行ったのである。
このように調査を進めていくなかで、コトラオルとその他の伝統的カヌーは歴史的にも現代のカヌービルダーにおいても分類をふまえて、認識・記録されていることが判明した。しかし、それとともに、カテゴリーが既存の参照枠として認識され、その傾向が継承されつつも、様々な関係性のなかで横断的に、時には結合し変容するようなカテゴリーの動態的な様子もみられるのである。ここではその動態を示す具体的事例として二つを挙げることにする。
一つは、船体における横断面の形の変化について分析を試みる。横断面の形はカヌーを認識する基本的な要素の一つであるが、コトラオルでは形のイメージが継承されつつも少しずつ変化していく過程がみられた。そこにみられるカヌーに残された製作痕と形との関係性を手がかりに、現代の形に少しずつ「なっていく」という過程を歴史的な軸から考察する。
二つ目に挙げるのは、現地のカヌービルダーによる製作実践によるものである。調査の過程で偶然にも出会った一人の40代のビルダーは、初めて自分独りでカエブを製作するところであった。彼は本や年上のビルダーの話を見聞きして、カヌーの分類自体は認識しており、モデルとなるカヌーの写真を参照することでカエブのイメージを有していた。しかし、彼は実際の製作工程のなかで意図しない偶発的な要素を解決する過程で、既存のカエブからは逸脱しコトラオルの形との折衷を試みたのである。製作過程のなかで、カテゴリーに本来的ではない要素を取り入れ、それを許容する場面を示し、実践のうえでみられるカテゴリーの動態について考察する。
これらの事例は、モノが実際に取り扱われる現場において、既存のカテゴリーが継承されつつも、モノとヒトの様々な関係からモノのカテゴリーが「ゆれ動く」という動態的な在り方を示している。このような物質的基盤によって成り立ち、物質と関わらずをえない物質文化を通した分析によって、モノのカテゴリーに関する原理的問題への接近を試みたい。

参考文献
後藤明
1997 「実践的問題解決過程としての技術―東部インドネシア・ティドレ地方の土器製作―」『国立民族博物館研究報告』221):125-187
2011 「民具研究の視座としてのchaîne opératoire論から物質的関与論への展開」『神奈川大学国際常民文化研究機構年報』2201-218
土方久功
1990 『土方久功著作集 第一巻』、三一書房。
Hornell, J.
19751936Canoes of Oceania volume . Bishop Museum Press, Honolulu.
飯高伸五
2005 「ミクロネシア・パラオ共和国における戦闘カヌー復興の分析」『文化人類学研究6』:116-132
Krämer, A.
1926 Palau: Ergebnisse der Sudsee-Expedition 1908-1910, Ethnographie, B, Mickronesien, Bd.3, Teilbd. 3. Friederichsen and Co, Hamburg.
McCutcheon, M.S.
1981 Resource exploitation and the tenure of land and sea in Palau. Unpublished Ph. D. Dissertation. The University of Arizona.
元田茂
1938 「カヌーを尋ねてミクロネシアの旅」『民族学研究』42):302-319
西秋良宏
2000 「シェーンオペラトワール」『用語解説現代考古学の方法と理論Ⅲ』、pp.110-117、同成社。


製作プロセスからみるモノのカテゴリー~愛知県の町工場における金属切削加工を事例に~
加藤英明

 本発表は、愛知県刈谷市の町工場における機械部品の製作事例を題材としながら、そこでの職人がもつモノのカテゴリーを考察することを目的とする。
 文化人類学において、ある社会の人々のカテゴリーを研究対象とする試みには、動植物や色、モノの言語ラベルを手がかりに収集分類し、人々の知識にせまった認識人類学の成果がある[Dougherty 1985; 松井 1991]。現代の工業社会においても、多くのモノが使用・製作されており、それらのモノは規格化や商品化を経るなかで、そのモノを示す名称がつけられる。そして、カタログなどにはモノの名称がカテゴリーに従って整然と並ぶ。しかし、モノをつくるという場面に目をむけると、出来上がるモノに依頼者が与えた名称や属するカテゴリーは、つくり手が加工対象のモノを認識するうえでは、ほとんど参照枠とされていないことがわかる。事例で取り上げる町工場の作業場面をみると、製作部品の名称は図面に示されているにもかかわらず「テ―パ(傾いた形状)のもの」や「D社のもの」と言われており、名称という言語的知識に基づいて製作部品を認識しているというわけではないことが見てとれた。ではどのように職人は部品を認識しているのか。このような問題意識から、金属切削加工をおこなう町工場で働く職人の実践活動にあらわれるモノの認識に近づくことを試みる。
 愛知県のものづくりは、戦間期に航空機産業の一大拠点として整えられた諸条件を基礎に置きながら、戦後は特に自動車の大量生産を担うことで、現在に至るまで発展を続けていった[鶴田 1982; 塩澤・斉藤・近藤 1993]。そして大量生産はライン設備をもった少数の大工場だけで成り立っているのではなく、ライン全体の設備維持を支える専門特化した多くの小規模工場が存在し初めて可能となるものである。本発表で取り上げる町工場は、そのような小規模工場の1つであり、金属切削加工をおこなう町工場である。金属切削加工は、工作機械を使用して金属材料から余肉を削りある形にする技法である。金属切削加工をおこなう町工場の職人は、図面に描かれた部品の平面図を読み解き、工作機械によって材料を削り出す作業を経て完成部品にする。町工場内で実際の作業を観察すると、依頼者の使用に即した図面上のカテゴリーに対して、職人は製作工程、使用する道具や機械など、実際の作業に即したカテゴリーに基づいて仕事をおこなっている。
 本発表では、製作のはじまり、つまり依頼者からFAXされた図面をみる段階から、道具を選択し機械に材料をセットする段階、部品の完成に至るまでの一連の作業プロセスに焦点を当てることで、段階ごとにあらわれる職人がもつモノに関するさまざまなカテゴリーを明らかにしていく。町工場については、職人の手先の器用さや工作機械の性能に焦点が当たりがちであるが、その実態の観察から作業活動にあらわれるカテゴリーを示すことで、職人が物質世界と関わりながらモノをどのように認識しているのか、その一端にせまりたいと考えている。

参考文献

Dougherty, Janet W.D
1985 Intoroduction, In Janet W.D.Dougherty,(ed.), Directions in Cognitive Anthropology, Urbana: University of Illinois Press, pp.3-14.
ファーガソン、ユージーン
2009 『技術屋の心眼』、藤原良樹・砂田久吉訳、平凡社。
後藤明
1997 「実践的問題解決過程としての技術東部インドネシア・ティドレ地方の土器製作」『国立民族学博物館研究報告』22(1): 125-187
2002 「技術における選択と意思決定ソロモン諸島における貝ビーズ工芸の事例ら」『国立民族学博物館研究報告』27(2): 315-359
橋本毅彦
2002 『<標準>の哲学』、講談社。
Keller, Charles M. and Janet D. Keller
1996a Cognition and tool use: The blacksmith at work. New York: Cambridge University Press.
1996b Imaging in Iron or Thought is not Inner Speech. In Rethinking Linguistic Relativity. Stephen Levinson and John Gumperz(eds.), pp.115-129: Cambridge University Press.
ルロワ=グーラン、アンドレ
1973 『身ぶりと言葉』、荒木亨訳、新潮社。
松井健
1991 『認識人類学論攷』、昭和堂。
パイ、デーヴィッド
1964 『デザインとはどういうものか』、中村敏男訳、美術出版社。
齊藤了文
1998 『<ものづくり>と複雑系』、講談社。
坂井信三
2012 「「おく」ということモノの配置と設置をめぐる認知論的民族誌のこころみ」南山大学紀要『アカデミア』人文・自然科学編(3): 11-30
坂本賢三
2006 『「分ける」こと「わかる」こと』、講談社。
塩澤君夫・斉藤勇・近藤哲生
1993 『愛知県の百年 県民百年史23』、山川出版社。
鶴田忠生
1982 『自動車王国前史綿と木と自動車』、中部経済新聞社。