2013年12月27日金曜日

第19回まるはち人類学研究会 「ポリシーという語り口――人類学的考察」

皆様

 今年もいよいよ押し迫り、さぞお忙しい事と存じますが、お元気でしょうか。19回まるはち人類学研究会の日程が決まりました。お忙しいと時期は思いますが、皆様に会場でお目にかかれますことを楽しみにしております。

中部人類学談話会第221回例会、第19回まるはち人類学研究会合同企画 南山大学人類学研究所共催

ポリシーという語り口――人類学的考察」
 

日時:2014125日(土曜日)1330より
場所:南山大学R棟R31(http://www.nanzan-u.ac.jp/Information/navi/nagoya_main.html)
 
13:30-13:45 趣旨説明 加藤敦典(東京大学)
 
13:45-14:15
山田亨(筑波大学)「政策としての世界遺産――国際条約と住民生活の狭間で」
14:15-14:25
質疑
 
14:25-14:35
休憩
 
14:35-15:05
神原ゆうこ(北九州市立大学)「『共生』と『国家』へのポリシー――スロヴァキアにおけるマイノリティと言語に関する問題の現場から」

15:05-15:15 質疑
 
15:15-15:45
上田達(摂南大学)「政策とオルタナティブ――マレーシアの都市集落の事例より」
15:45-15:55
質疑
 
15:55-16:05
休憩
 
16:05-16:35
加藤敦典(東京大学)「ポリシーと情義――現代ベトナムの中央-地方関係における住民の語り口」

16:35-16:45 質疑
 
16:45-17:00
コメント 宮沢千尋(南山大学)
17:00-17:30
総合討論


ポリシーという語り口――人類学的考察

 このセッションでは、ポリシーということばを広い意味で使いたい。この概念は英語圏でも意味があいまいなカテゴリーだが、日本語で考えるとさらに意味があいまいになる。日本語の脈絡におけるポリシーということばには、国家の政策や政党の信条という狭義の政治的な用法のほかに、ウェブサイトのプライバシー保護に関する方針、「強きをくじき、弱きをたすける」という義賊の信条、あるいは、服装や食べものに対する「こだわり」まで、幅広い用法がある。これらのポリシーと呼ばれるものに共通するのは、それらが単にその場しのぎの主張ではなく、かなり強固な一貫性をもち、かつ多くの場合、倫理感に基づいて主張される行為の指針だということである。
 このセッションで私たちが注目するのは、あることがらをポリシーとして語ることによって生みだされる言語の世界である。実際には、このセッションの各報告はもっぱら国家の政策、政党の方針、あるいはそれに対抗するローカルな信念に関する事例をとりあげている。しかし、ここで議論される問題は、広い意味でのポリシーの人類学の構築にむけた理論的、臨床的な課題を提示することになるだろう。
 現代社会を研究対象とする人類学者は、多かれ少なかれ対象地域の生活に政策が及ぼす影響に留意しながら研究をおこなっている。そのなかでも、政策の人類学といわれるジャンルは、おもに、政策を通した国家と地域社会の相互関係や、言説を通した統治の技法としての政策などの問題について論じてきた。また、政治過程に注目する研究では、国際安全保障・開発援助などグローバルな巨大権力機構のなかでの政策決定過程を、複数サイトの相互関係に注目しつつソシアル・ネットワーク論の成果などを採り入れて分析してきた(たとえば、Shore and Wright eds. 1997; Shore, Wright, and Però eds.
2011)。これらの先行研究のなかには、われわれが注目する言語としてのポリシーという側面に注目し、政策という言語行為が対象をカテゴライズする作用に注目する議論や、ポリシーの語り口が日常言語のなかに浸透している状況に注意をうながす議論もみられる。
 このセッションでは、これらの先行研究の成果をふまえつつ、第一に、ポリシーの翻訳と接合の現場に注目していく。複数の異なる社会的価値体系が競合するなかで調査をおこなう人類学者にとって、普遍性を標榜する外来のポリシーが現地社会におけるローカルなポリシーの語り口に流入し、接合し、衝突するといった現象は日常的に目にする光景となっている。このようなローカルな脈絡での人びとの言葉の運用の分析は人類学者がもっとも得意とする分野である。たとえば、法人類学者のSally E.Merry2006)は、女性に対する暴力と人権に関する国際機関の声明がどのようなかたちで合意され、それがどのような翻訳の過程を経てローカルな脈絡に浸透していくのかを分析している。このセッションの各報告は、ことばの集合体としての政策と地域住民の信念とのはざまでポリシーが状況に依存しながら実体化していく様相(理論面では、シルヴァスタイン 2009)や、ローカルな脈絡における対抗的ポリシーの形成、あるいはポリシー同士の軋轢を回避しようとする(ポリシーの)語り口などについて事例分析をおこなっている。
 第二に、このセッションのいくつかの報告では、ポリシーを言語ゲームの一種として理解することを試みている。後期ウィトゲンシュタイン(1994)は、言語とはことばを用いた複数のゲームによって成り立つ集合体であり、かつ、そこで使われることばの意味は、そのゲームのなかでそのことばがどのような振る舞いをするのかと同義である、と主張した。たとえば、「定義づけ」という言語ゲームと「命令」という言語ゲーム(いずれもポリシーという語り口のなかにはよく登場する)では、同じ言語(たとえば日本語)を用いておこなわれる言語行為だとしても、ゲームのなかでのことばの振る舞いはまったく異なり、それゆえ、たとえ同じ単語でもその意味はまったく異なってくる。しかも、その意味は決して固定的なものではなく、会話のやりとりを通して意図を確認し、やりとりのなかで意味を確定させていくほかないのだ、とウィトゲンシュタインは考えた。ポリシーという語り口は、こういったさまざまな言語ゲーム(定義、命令など)によって構成されるひとつの言語ゲームであり、また、ポリシーという言語ゲーム自体が、信念の語りかたというカテゴリーにおいては、ほかの語り口(たとえば「遺言」の語り口など)と併存しているのである。実際、Janine Wedelらは、ポリシーの語り口は、マリノフスキーの言うところの行為の憲章としての神話の語り口とも対比可能であると指摘している(Wedel et.al. 2005, 35)。
 ポリシーという語り口に依拠することが、紛争解決の手段として、あるいは、より広く日常的な合意形成や意思決定の手段として有効に作用する場合がある。あることがらをポリシーとして語ることによって、それに関与する人びとはある特定のゲームのなかに巻き込まれる。それにより、たとえば「これは私たちのポリシーだ」という言明に対して、他の人びとにはある種の反論の形式しか許されなくなるだろう。また、逆に、あえてポリシーを語らないことによって、よりよい結果に至るケースもあるだろう。たとえば、紛争解決にあたっては、さまざまな言語ゲームに依拠した処理方法がありえる。法の言説に基づく紛争処理も可能であるし、託宣による処理も可能である。あるいは、フィジーにおける会話を通した紛争処理を分析したAndrew Arno1993)が指摘するように、親族関係に依拠した「冗談(関係)」という言語ゲームのなかに当該の紛争を落とし込むことによって問題の解決が得られる場合もあるだろう。そのようなさまざまな言語ゲームと対比するによっても、ポリシーの語り口の特徴をあきらかにすることが可能になるだろう。
 そのほかにも、ポリシーを言語ゲームとしてとらえる枠組みは、「ある人びとがポリシーを持っている」「ポリシーに従っている」という言明が可能になる条件(クリプキ 1983)の文化的な多様性について議論することを可能にし、それは必然的に、主体、信念、意図などの概念にまつわる文化論的な比較研究を促すことになるだろう。また、言語ゲームとしてのポリシーという枠組みは、人びとが自他のポリシーを確認していくプロセスの分析や、相互に矛盾するさまざまな信念体系が併存する状況の分析にも有効だろう。
 このセッションでは、ポリシーということばの柔らかさに乗るかたちで、政策の人類学にとどまらず、より広く、政治人類学、法人類学、さらには「こだわり」の人類学とでも呼べる分野へと議論の射程を広げていくことにより、ことばと信念と生活様式のあいだの関係についての人類学的研究に貢献していきたいと考えている。

(文責:加藤敦典)

 <参考文献>
ウィトゲンシュタイン,ルートヴィヒ. 1994. 『哲学的探求』黒崎宏(訳), 産業図書.
クリプキ, ソール. 1983. 『ウィトゲンシュタインのパラドックス : 規則・私的言語・他人の心』. 黒崎宏(訳), 産業図書.
シルヴァスティン, マイケル. 2009. 「転換子、言語範疇、そして文化記述」 マイケル・シルヴァスティンほか著『記号の思想 : 現代言語人類学の一軌跡 : シルヴァスティン論文集』. 三元社, 235-316.
Arno, Andrew. 1993. The world of talk on a Fijian island: An ethnography of law and communicative causation, Communication and information science. Ablex Publishing Corporation.
Merry, Sally Engle. 2006. Human rights and gender violence: translating international law into local justice. The Chicago series in law and society: University of Chicago Press.
Shore, Cris, and Susan Wright eds. 1997. Anthropology of policy: critical perspectives on governance and power. European Association of Social Anthropologists: Routledge.
Shore, Cris, Susan Wright, and Davide Però eds. 2011. Policy worlds: anthropology and the analysis of contemporary power. Oxford: Berghahn.
Wedel, Janine R., Cris Shore, Gregory Feldman, and Stacy Lathrop. 2005. "Toward an Anthropology of Public Policy." The ANNALS of the American Academy of Political and Social Science no. 600 (1):30-51.


政策としての世界遺産:国際条約と住民生活の狭間で

山田 亨(筑波大学)

 本報告では、長崎県における世界遺産登録の政策に焦点を当て、国際法という書きことばの集合体である世界遺産条約が特定地域の「政策」となる過程で、どのように法的そして文化的の両面において翻訳され、特定の地域で運用される条例という新たな書きことばの集合体となっていくのかという問題に焦点を当てる。
 20071月に長崎各地にあるキリスト教教会群と関連遺産が文化庁の選定を受け世界遺産暫定リストへ追加登録されて以来、長崎県各地では教会群と関連遺産を正式に世界文化遺産として登録することへの各種取り組みが文化庁、県庁、そして、関係市町といった地元自治体により進められている。世界遺産に目を向けた時、これまでの先行研究においては登録後における観光に伴う経済の変化やナショナリズムをはじめとした遺産として表象される文化に対する関心に焦点が当てられやすいが、世界遺産登録を実際に行政のプロジェクトとして設定した場合、観光を含めた産業の変化や遺産という文化の表象という問題はさることながら、地域住民の間では国際法である世界遺産条約が法的な実体をもって地域の住民生活にどのような影響を与えるようになっていくのか、もしくは、世界遺産条約という国際法を地域の中でいかに実体化させていくのか、という法・政治人類学的な問題である「政策と地域住民の関係」や法制度という「ことばと地域住民の関係」のプロセスが内在していることが分かる。そこで、本報告では、C. S.パース(1961)やM.シルバステイン(1970)を中心とした語用論(indexicality)を基礎とした法・政治人類学における先行研究(Arno 1985, 2009; Richland 2008など)をもとに、長崎県の世界遺産登録プロジェクトを国際法の翻訳作業として捉え国際法と住民との関係を分析する。
 一般的に観光開発のイメージが強い世界遺産ではあるが、まず登録の準備をするにあたっては登録予定の文化資産と近隣の地域を含めたはばひろい空間全体の保護を法的に保障していくことに取り組んでいくことになる。特に、県庁や関連市町村における文化財担当者をはじめとして、行政職員は世界遺産条約、関連する各種国内法、条例、そして、判例等の相関関係や、世界遺産登録のために計画されるであろう法律のデザインや運用のシミュレーションを国の関係官庁職員や県庁関係者と連絡をもちながら取り組んでいくことになる。この世界遺産の登録における行政関係者のやり取りは、法律解釈や法運用にまつわる行政関係者間の特化した意思疎通方法やコミュニケーション手法を通じて交わされる。具体的には、文化資産保護の具体的方針を議論する際には、世界遺産条約に直接言及するのではなく、自治体職員は関係する各種国内法を分析することにより間接的に世界遺産条約につながるような法的テクニックを研究し登録へ向けた法整備に取り組む。例えば、景観法に対応した景観条例案を起草したり、登録されている農用地の利用状況を調べたり、都市計画条例を改定することにより景観の保護をおこなうなど、職員は幅広い法整備に従事することになる。つまり、世界遺産登録作業における「文化」は、世界遺産条約という国際条約から国内法、ひいては、行政関係者の法的テクニックなどに法的に翻訳・分解されていくのである。
 しかし、このような特化した法的テクニックを研究・習得していくことと平行して、自治体職員は住民に対して登録作業や方向性に関するわかりやすい説明を提供することが求められる。いいかえれば、職員は登録作業のために世界遺産条約を国内法の枠組みごとに分解していくことと平行して、それぞれに独立し複雑な体系を持つ法律が世界遺産の登録作業に直接的・間接的にどのようにつながるのか、ということを住民に説明していく必要が出てくるのである。
 つまり、世界遺産の登録作業において自治体職員は、行政関係者と住民との重複点に位置しながら、国際条約、国内法、そして、住民の法認識をつなげていく作業に従事していくことが求められるのである。このような行政的な過程において世界遺産における抽象的な「文化」の概念は法律という「書きことば」として分解されるとともに、地域特有の条例として法的実体性を取得することになるのである。その意味において、自治体の職員に求められるのは、法律を媒体とした文化の分解と実体化といった完全に逆の方向にむいた法の翻訳的作業に取り組むことなのである。
 上記のことをふまえ、本報告においては、日本における世界遺産登録への取り組みを研究の対象とすることにより、法人類学的視点から「ことば」としての世界遺産という政策を検証する。

<参考文献>
Arno, Andrew. 1985. “Structural Communication and Control Communication: An Interactionist Perspective on Legal and Customary Procedures for Conflict Management.” American Anthropologist 87(1):40-55.
. 2009. Alarming Reports: Communicating Conflict in the Daily News. New York: Berghahn Books.
Asad, Talal. 1986. “The Concept of Cultural Translation in British Social Anthropology.” In Writing Culture: The Poetics and Politics of Ethnography. J. Clifford and G.E. Marcus, eds. Pp. 141-164. Berkeley: University of California Press.
Peirce, Charles S., et al. 1965. Collected Papers. Cambridge: Belknap Press.
Richland, Justin B. 2008. Arguing with Tradition: the Language of Law in Hopi Tribal Court. Chicago: University of Chicago Press.
Silverstein, Michael. 1976. “Shifters, Linguistic Categories, and Cultural Description.” In Meaning in Anthropology. K.H. Basso and H.A. Selby, eds. Pp. 11-55. Albuquerque: University of New Mexico Press.
. 1993. “Metapragmatic Discourse and Metapragmatic Function.” In Reflexive Language: Reported Speech and Metapragmatics. J.A. Lucy, ed. Pp. 33-58. Cambridge; New York: Cambridge University Press.


「共生」と「国家」へのポリシー
――スロヴァキアにおけるマイノリティと言語に関する問題の現場から

神原ゆうこ(北九州市立大学)

 本報告はスロヴァキアのハンガリー系マイノリティを対象とし、言語使用にかかわるマジョリティとマイノリティの諸言説が交錯する状況に注目する。趣旨説明では、ことばと信念と生活様式(本報告では実際の慣習的行動というべきかもしれない)のあいだの関係の文化人類学的研究という点が挙げられたが、本報告は、自分の行動をひとつのことばや信念に回収できない人々に光を当て、対立の日常的な妥協点を見つけるためのことばと信念の役割を明らかにすることを目指している。
 中欧のスロヴァキアは人口500万人の国であるが、国勢調査の上ではその1割弱をハンガリー系マイノリティが占める。およそ100年前まで現在のスロヴァキアの領域はハンガリー王国の一部であり、歴史的には900年近くの間、ハンガリー系の人々はハンガリー王国のマジョリティとしてこの地域で優越的な立場にあった。1918年のチェコスロヴァキア独立と1993年のスロヴァキア独立を経て、現在のハンガリー系の人々は、スロヴァキアの最大のエスニック・マイノリティとして認識されている。ハンガリー系が多く居住する地域には、ハンガリー語を教育言語とする公立の小・中・高・大学が存在し、標識の二言語表記も認められているなど、ある程度の文化的権利は保障されている。しかし、スロヴァキア系の民族主義政党による文化的権利を制限する政策の提案や、一部のナショナリストによるハンガリー系住民への嫌がらせは定期的にメディアに取り上げられる話題となり、ハンガリー系政党の反論やハンガリー本国からの抗議にスロヴァキア系のナショナリストが応酬するといった状況が続いている。現地の大多数の人々にとって、このような状況は深刻な民族紛争に発展することはないだろうが、解決の見込みもない民族問題として認識されているといってよい。
 ただし、この問題は単純に文化的権利の拡大を求める弱者としてのマイノリティとそれに反対するナショナリストの二項対立に収まるものではない。現地の社会学者や文化人類学者によるミクロレベルの研究(cf. Frič 1993)では、ハンガリー系住民が8割以上を占めるスロヴァキア南部の町や村でも、ハンガリー系とスロヴァキア系の意志相通に問題はなく、「共生」を求める人々によって日常的なコンフリクトは回避されていると指摘されている。また実際に当該地域のハンガリー系の知識人たちも、むしろスロヴァキア人が「共生」の現実を認識していないと指摘する。さらには、スロヴァキアのハンガリー系村落でフィールドワークを行ったにもかかわらず、その著作でエスニシティの問題にほとんど触れなかった文化人類学者のD. Torsello 2003
も、その理由について、村の人々はバイリンガルでありハンガリー系であることはスロヴァキアで生きているうえで大きな問題でないと判断したからと述べている(ただし、スロヴァキア人の研究者からはこの点を批判された)。このことから、ハンガリー系とスロヴァキア系の民族文化に関するポリシーの対立に加え、その対立の存在を認識しているかどうかでも、この問題に関するポリシーが交錯していることがわかる。
 この問題を文化人類学的に考察するにあたり、本報告では公用語であるスロヴァキア語で積極的に自らのポリシーを語りうるハンガリー系の知識人やコミュニティ・リーダーに注目した。社会において何がニュースとして選別され、紛争を伝達する存在としてのニュースに注目した文化人類学者のA. Arno2009)にとって、公的なポリシーの語りは社会における公正さや基準を喚起するような正当化のレトリックを指す。このArnoのポリシーと情報伝達に関する議論を参照しつつ、政治的な対立をローカルな文脈において仲裁ないし先送りする日常生活の様相について考察を深めたい。
 実際のところ、現場で語られるポリシーはローカルな文脈にのみ依存するものとは限らない。G. Feldeman 2013がマイノリティの存在をとりまくマクロ構造の影響を指摘するように、隣国ハンガリーとの外交関係やEUのマイノリティの文化保護に関する方針は、マイノリティとマジョリティのポリシーの論拠として引用され、再生産される。さらに独立国家としての矜持といった政治的意思から、20世紀初頭の中央ヨーロッパの文化的多様性と寛容性を懐古する思想的風潮まで、彼/女らのポリシーには異なるレベルの多様な思想の拠り所が存在している。一方でローカルな語りとして注目したいのが、「スロヴァキア語は国家の言葉だから話せて当然」というフレーズである。この語りは、スロヴァキア語を母語とする人にも、ハンガリー語を母語とする人にも、対立をさけ平穏に共生したい人にも、スロヴァキア化を進めたい人にも、さらにマイノリティ文化を守りたい人にもよっても用いられる。そこにはハンガリー系の人々にとってのスロヴァキア国民としての意志と、マイノリティとしてこの土地で生きることを希望する、もうひとつのポリシーが見え隠れする。本報告では、フィールドの現実から浮遊するポリシーが錯綜する空間において、このように現実を繋ぎ止めるポリシーの可能性を検討したい。

<参考文献>
Arno,Andrew. 2009. Alarming Reports: Communicating Conflict in the Daily News. NewYork: Bergahn books.
Feldman, Gregory. 2013. “Estranged States: Diplomacy and the Containment of National Minorities in Europe.” Anthropological Theory 5(3):219-245.
Frič, Pavol. 1993 “Mýty a realita júžného Slovenska.” in Súčasnosť mýtov a mýty súčasnosti, Rene Bílik (ed.), pp. 50–54, Bratislava: Slovak Academic Press.
Torsello, Davide. 2003. Trust, Property and Social Change in a Southern Slovakian Village. Munster: Lit.

政策とオルタナティブ――マレーシアの都市集落の事例より

上田達(摂南大学) 

 本発表はマレーシア政府による政策(ポリシー)の語りと、その政策の介入の対象となる住民の方針(ポリシー)の語りにおける「先住民(native/anak negeri)」という概念を分析する。
 策定から実行へといった単線的で上意下達で実行される政策のイメージは、フィールドにおける実証的な調査で得られたデータとしばしば食い違う。政策は、ローカルな文脈において、実行する主体が予期せぬ効果をしばしばもたらす。こうした現実を踏まえて、種々の政策を視野に捉えて、それがもたらす文化・社会的な変化を捉えるのが人類学的な政策研究の第一の意義といえる(Shore and Wright 1997; Shore et. al. 2011)。ShoreWrigh1997)は政策を社会の外部に位置づけることを戒め、ローカルな文脈のなかで両者の関わりを理解することの重要性を主張する。本発表では、二つの言語システム(中川 1999)、すなわち政策の語りと住民の語りを分析し、両者において先住民概念がどのような位相にあるのかを示す。次に、住民の中で先住民に関する別の語りが生じていることを報告する。これらは時に従来の語りに回収されるものの、継続的に生起して住民がプレーする新しいゲームを提供している。先住民という概念をめぐる住民の語りの動態を明らかにすることが本発表の目的である。
 発表者の調査する集落(以下、K集落)は東マレーシアのサバ州の州都コタキナバルにある。K集落は1970年代に公有地にスクオッター集落として建てられた。住民の大部分はサバ州の先住民とされるドゥスンの人々である。都市に出てきた人々は、政府や公的エージェントの所有する土地に住居を構えた。こうして出来たスクオッター集落は、経済発展を続けるマレーシアの都市部にそぐわない光景であるとされて、都市環境の整備を行うために、マレーシア政府はゼロスクオッター政策を打ち出し、都市部に非合法な形で建てられた集落を撤去し始めた。K集落もまた非合法な集落として政策の対象になってきた。これに対して住民の方針はゼロスクオッター政策に対して一貫していた。すなわち、マレーシアの先住民として保護される権利を主張し、その場所に住み続けるという選択肢である。
 スクオッターをゼロにする政策は予期せぬ帰結をもたらした。K集落は1999年にその位置づけを非合法のスクオッター集落から合法的な村へと変えた。K集落の住民は、マレーシアの政治的な文脈において一定の権利を有すると見なされる先住民であると見なされた(上田 2010)。K集落の人々のそれぞれの立場は異なるものの、先住民として集落に住むことをめぐっては住民の合意は形成されている。政府の政策と住民の方針は折り合いがつけられ、住民は不法占拠者から先住民へと立場を変えた。
 しかし、先住民が住むとされたK集落では、合意された「先住民の村」を逸脱する語りがしばしばなされる。K集落の住民は先住民であるドゥスン系と特徴づけることができるものの、その出自は相互に異なる。先住民の村として文化行事を行う際に、こうしたコンフリクトは顕在化する。州--村という行政の位階の中で開催される文化行事において、サバ州の先住民という語り方は人々の支持をとりつけることができず、人々はその空虚さをしばしば指摘する。また、自らを先住民と位置づけ、集落を先住民の村として、そこに住むという方針は住民間で一致している一方で、その枠に収まりきらない事例も散見される。一部住民が進める「NGOの計画」はその一例である。そこにおいて住民は保護されるべき先住民像とは異なる姿を見せる。
 種々の政策が介入した結果、先住民という主体が立ち現れて先住民としての語りがなされる一方で、この範疇に収まりきらない語りが見られる。これらの語りは時に従来の語りに回収されるが、新しいゲームとして継続的に生起する。政策と住民の暮らしは、時に符合する地点が見出されつつ、時に予期せぬ形で事態が推移する。本発表ではマレーシアの都市集落というローカルな文脈において、複数のポリシーのインターフェイスを見定める試みである。

 <参考文献>
中川敏. 1999.「学校者と出稼ぎ者――エンデの遠近両用眼鏡」『国立民族学博物館研究報告』23(3): 635-658.
Shore, Cris and Wright, Susan. 1997. Anthropology of Policy: Critical perspectives on
governance and power. London and NY: Routledge.
Shore, Cris and Wright, Susan and Però, Davide. 2011. Policy Worlds: Anthropology
and the analysis of contemporary power. NY and Oxford: Berghahn.
上田達. 2010. 「居座る集落、腰かける人々――マレーシアの都市集落の事例より」『文化人類学』75(2):216-237.

ポリシーと情義——現代ベトナムの中央地方関係における住民の語り口

加藤敦典(東京大学)

 現代ベトナムの中央地方関係において、共産党のポリシーは絶対的な強さを持っている。そのため、地域住民は、党の方針や政府の施策に対して異議申し立てをおこなう場合であっても、党のポリシーを批判することはしないし、対抗的なポリシーを語ることもしない。しかし、それは住民が政治過程に関与できないとこを意味するものではない。実際、自治会の集会などを観察していると、住民が政策に対する反対意見を述べるときに、まず「党の主張(chutruong [主張])には完全に賛成する」という前置きをしたうえで、延々と政策の不備についての批判をおこなう光景をしばしば目にする。あるいは、党の方針や政府の政策そのものへの反対意見は述べずに、ケースごとに便宜をはかるように提案する場面にもしばしば出会う。このようなかたちで、住民たちは、党のポリシーと直接に対立しないように注意しながら、したたかに自分たちの要望を政策実施過程のなかに組み込んでいく。
 これまでも、ベトナム社会を研究する人類学者や地域研究者は、住民が党の方針や政府の政策をないがしろにして自分たちの生活の便宜を確保しようとする様子について関心を払ってきた。それらの議論は、これを政策の具体化を地方行政に任せて形式上の成果のみを評価するという政策モニタリングの脆弱さが生み出す「隙間」の問題として分析したり(Sikor 2004)、地域社会の協力なしには統治が貫徹できないベトナムの国家社会関係を利用した住民の生存戦略として分析したり(Kerkvliet 2005)、あるいは、為政者が法律や政策をないがしろにして住民の生活の便宜をはかることが統治の正当性の根拠になるのだというリーダシップ論の観点から分析したりしてきた(Koh 2006)。
 この報告では、政策の具体化の過程で生まれる隙間を突いた抵抗戦略という観点をよりプラグマティックな相で描くために、「運動」(van dong [運動]、phong trao [風潮])という政策の実施スタイルに注目するとともに、住民が自分たちの要望を織り込んでいくときにしばしば用いる「むらの情義」(tinh lang nghia xom)の語り口の特徴を党のポリシーの語り口における倫理観の表明のしかたと対比しながら示していく。
 現代のベトナムの政治システムにおいて、党の方針は一貫してゆるぎないものとして言明される。党は「主張」を展開し、方向性を定め(dinh huong [定向])、政策の具体化を政府に指示し、場合によっては政府と各種大衆団体に「運動」の発動を指示する。政府はこれを受けて、国家目標プログラム、法律、規定などを定める。その政策は現地の状況に応じて柔軟に運用しうるものとして住民に提示される。同時に、各種団体は「運動」を展開する。このプロセスのなかで、党の方針は具体化され、この具体化のプロセスのなかで各アクターの裁量の余地が生まれる。
 「運動」は社会主義革命と総動員体制のもとで活用されてきた住民動員の手法である。住民は「運動」に主体的に参加することを求められ、目標を設定し「成果」(ket qua [結果])をあげることが期待される。ベトナムの国家機構は、社会主義的理念のもと、中央集権的な上意下達のシステムを貫徹させようとすると同時に、下部組織の自主性と自助努力を尊重する方針を強調してきた。政策の具体的な施行を地方行政や地域住民の裁量にゆだねる手法は、実際には、ベトナムの政治過程の不備(だけ)を意味するのではなく、むしろ、住民の自主性と裁量の余地をおおきく認めようとする社会主義的な制度理念に基づくものなのである。つまり、党の方針や国家の政策がないがしろにされがちなのは、ベトナムにおける政治過程の正しい運用のなかに必然的に織り込まれている事態なのである。
 このようにして生まれる政治過程における裁量の余地を活用する際に地域住民がしばしば依拠する「むらの情義」とは、むらびとの個別事情に配慮することや、身近なむらびとの困難を目の当たりにしたときにとるべき正しいふるまいを意味する。この観点から、住民は党の方針や国家の政策が過酷なかたちで実施されないように行政に配慮を求める。しかし、住民たちは「むらの情義」について語るときも、それを一貫した倫理規範として(たとえば「私たちのむらではずっとこうしてきた」というようなかたちで)示すことはない。あくまで、語られるのは個別的な事情だけである。
 党はポリシーを語り、住民はポリシーを語らない。この両者の結託によって、個別のケースは解決され、平常時のむらの統治は実現している。
 こういったベトナムにおける中央地方関係における政治過程の特徴は、外国援助機関が持ち込む参加型開発の理念などとも接合している。社会主義体制と総動員体制の「跡地」(加藤 2008)が現代的な統治と開発のトレンドと接合している状況は、ベトナムの事例を「時代遅れ」の社会主義国家の事例として片付けることができないことを示している。
 この報告では、ベトナム中部の村落で実施してきた自治活動の調査から得られたいくつかの事例を総合して上記の議論を展開する。とくに、葬儀の簡素化を求める党の方針に基づいた行政指導と住民自身による自己規制の結託の事例、および、貧困世帯対策における「運動」や「参加」の役割とそこでの地域住民の裁量・融通の事例について詳しく報告する。

 <参考文献>
加藤敦典. 2008. 「動員と連帯の跡地にて――自主管理時代のベトナム村落における統治のモラルの語りかた」石塚道子, 田沼幸子, 冨山一郎(共編), 『ポスト・ユートピアの人類学』, 113-134. 京都: 人文書院.
Kerkvliet, Benedict J. 2005. The power of everyday politics: how Vietnamese peasants transformed national policy. Ithaca, N.Y.: Cornell University Press ; Bristol : University Presses Marketing.
Koh, David. 2006. Wards of Hanoi. Singapore: Institute of Southeast Asian Studies.
Sikor, Thomas. 2004. "Local Government in the Exercise of State Power: the Politics of Land Allocation in Black Thai Village." In Beyond Hanoi: local government in Vietnam, edited by Benedict J. Kerkvliet and David G. Marr, 167-196. Singapore: ISEAS.